耳かき

(ひとりごと)

今日も雑感しか書いていないのだが、こういう状態になると結構マーケットの上がり下がりが冷静に見れるようになることに気づいた。
油はヌアイミがしゃべると下がるし、非鉄金属はやっぱり安いから買われる(ニッケルは高すぎるのでいったん利食われる)し。
まったく個別材料を吟味しないで相場を見てみるのも、たまには悪くないような気がしてきている今日この頃である。
と、いっても毎日そんなことしているわけにも行かないんですけどね。

さて。

耳掻き、みんな大好きですよね。
多分ですけど。

私も耳掻きが大好きで、ほぼ毎日耳掃除をしている。
昔は竹でできた耳掻きで耳を掃除していたが、最近はもっぱら麺棒、あ、いや、綿棒を使っている。
それもこれも昔、ジョンソン&ジョンソンのコマーシャルに

「湿ったお耳にジョンソン綿棒」

というのがあったからである。
確かに、コマーシャルでハモりながら「湿ったお耳にジョンソン綿棒〜」と言われると、そういうものなのか?
と試してみたくなる。
あたりまえであるが、ウォシュレットのコマーシャルではないが、汚れたものを紙で拭いておしまい、というよりは
水に濡らしてから拭いた方がきれいになるに決まっているのだ。

その湿ったお耳戦略にはまってしまったわけであるが、確かに乾いた耳にやるよりはずっと良い。
汚れの取れ具合が違うし、なんと言っても気持ちが良いのだ。

「いかに奥まで綿棒を差し入れるか」

が問題である。
あまり奥まで入れてしまうと鼓膜まで届いてしまってよろしくない一方で、
鼓膜のぎりぎりのところまで綺麗にすると、なんとも言えず気持ちが良い。

あのぎりぎりの感覚が良い。

まぁ、そこまで命をかけて耳を掃除する必要もないとは思うが、おそらく同じ感覚でぎりぎり感を味わっている人は多いのではなかろうか。

料理も同じである。
スープも牛乳が分離するかしないかのぎりぎりのところが一番おいしいわけだし、
鮒寿司なども、腐るか腐らないかのぎりぎりのところがおいしい。
チーズも然り、である。

世の中、何でもぎりぎりの状態が良い、ということになるんだろうか。
男女の関係も、くっつくか、くっつかないかのぎりぎりのところが面白いのも、実は耳掃除に似ていると思う。

「これ以上立ち入るとおそらくだめになるし、でもある程度まで深く立ち入らないと進展もないし」

うーん。
恋愛下手の人は、耳掃除で勉強しましょう。
くれぐれも鼓膜は破らないように。